森田さんは今の広島市に生まれ、21歳のとき、爆心地からおよそ1.3キロの地点で憲兵隊の任務にあたっていた際に被爆してやけどを負いました。
1956年にブラジル・サンパウロに家族と移り住んだあとは日本食の食料品店を営みながら原爆症の治療を続け、1984年には、被爆者の団体を設立して海外でも日本の被爆者と同じ支援を受けられるよう訴え続けました。
2019年に医療費の給付が受けられるようになり、森田さんが会長をつとめていた「ブラジル被爆者平和協会」は解散しましたが、その後も、被爆体験を伝えるポルトガル語の演劇などを通じて原爆の悲惨さと平和の大切さを伝える活動を続けてきました。
遺族などによりますと、森田さんは12日、サンパウロ市内の病院で老衰のため亡くなりました。
100歳でした。