報告会は我孫子市の市民グループが開いたもので、地元の人たちなどおよそ150人が参加しました。
中嶋さんは、国境なき医師団の国際チームの一員として、去年11月から3週間にわたって現地に入り、現在、激しい攻撃を受けている南部・ハンユニスの病院で麻酔や救急の医療を担当していました。
報告会の中で中嶋さんは、毎日のように多くの子どもたちが病院に運び込まれていたことや、ほかの家族全員を失いかろうじて生き残った子どもも大勢いたことなど、悲惨な状況を説明しました。
そのうえで「手足を失った子どもはこの先も痛みが残るため、延命させていいのか自問自答することもあった。子どもの精神面も含めたケアが必要だが、家族がいないとなると、胸が痛くなる」と振り返りました。
そして「いくら医療活動を続けても、戦争そのものをやめなければ焼け石に水だ。日本は比較的、政治的なしがらみが少ないので存在感を示してほしい」と訴えていました。
参加した60代の女性は「子どもたちの現状を知って胸が痛みました。現地で起きていることをまずは知ることが大事だと感じました」と話していました。